旧徳山村の様子2006年(最期の徳山村)

※一部のコメントは当時のままにしておりますので御了承下さい。
2006年春

 

  現在、試験運用を行い、2008年春に本格稼動予定です。

2006年の秋には試験灌水が開始されることで、もう二度とここには来れないという覚悟でやってきました。

上開田地区方面ダンプカーの往来が激しかったです。いよいよ最終段階か。当日も工事車両が多い為、一般車両を規制していました。

徳山地区へ渡る橋。この橋もそのまま沈んでしまいます。近くへ行けなかったので、徳山小学校をズームアップ!この建物は旧村民の意向によりそのまま湖底に。

当日は良い天気でした。この場所から上空を眺めるのはあと何日だろうか?湖底になる頃にはもう真っ暗になってしまうのか!?

戸入方面も行きたかったが、通行規制のため行けなかった。 こうしてみると、むなしく感じる。もうこの村は完全に湖底に消えてしまうなんて・・・。

 

徳山会館も急ピッチで建設が進められていた。次回来る頃には完成かな?? 

まもなく湖底の横断橋もつながります。これも次回には完成かな?? もうダム本体着工から6年も経っているんですね。構想からだと、約半世紀。

おまけ画像として道の駅ふじはし付近で最近大規模な山崩れがありました。自然の力には勝てませんね。

 

2006年8月 徳山村最期の夏の様子

試験灌水が約1ヵ月前に迫った8月下旬、どうしても行きたくて、最期の徳山村を散策した。

ダムの本体はほぼ完成していた。試験潅水を待つだけでしょうか? 横断橋も完成していた。こちらも開通を待つだけです。

徳山地区から少し奥に入った所に大きな岩がある。通称「カンノセイワまたはカンノイワ」と呼ばれているそうです。

櫨原地区跡もう住んでいる人はもちろん居ない。もうこれも見納め。さらに奥へ塚地区へここまで湖に沈むんですね。徳山地区から約10キロです。

かなり高い位置に新しい国道が走ります。再び大岩へ戻ってきました。真ん中に大きな割れ目があります。伝説によるとここには大蛇が潜んでいるとか?

旧役場のふるさとの石碑は移転してあるが、看板はそのままでした。これも移転するのだろうか??

もうすぐ試験潅水が始まるお知らせ。もう通行できないんですね。戸入・門入地区へはもう行けなんですね。

旧徳山小学校。この校舎ともお別れ。本当の卒業式ですか!!校舎内にある備品はすべて運び出して、保存するようです。

来年には約半分下は湖になるんでしょうか?

徳山ダムの見学会に参加しました。特別にダムの堤防と徳山会館に入ることが出来ました。

間近で見るとかなり大きなダムです。奈良県にある大滝ダムと比べて2倍くらいは余裕で大きいです。

見学はバスを使って何台かに分乗して行きました。ツアー団体さんとか個人で来た人とかいろんな人が見学に来ていました。

完成間近の徳山会館。ちょっとした憩いの場の提供や宿泊施設も備えているとか・・・。庭はダム湖に見立てた白い石を敷き詰めてあった。

徳山会館から見た旧徳山村の様子。今度ここから見るときはダム湖でしょうか??

ふるさとの石碑は徳山会館に移設されていました。 こうして見ると改めて大きな横断橋です。ダム湖の沈んだらそんなに大きく見えないでしょうね。

あとはラインを引いたら開通です。次回これたときは走れるかな?ここで駐停車は危険ですから、止めた方が良さそうです。


旧徳山村の様子 2001年(shin旧徳山村初探訪)

旧徳山村の様子(2002年-2003年)

旧徳山村の様子(2004年-2005年)

旧徳山村の様子2007年(ダム湖になった徳山村)

旧徳山村の様子2008年(徳山ダム完成)

旧徳山村の様子2009年(門入地区探訪)

旧徳山村の様子2010年-2019年(その後の徳山ダムは・・・)

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